Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

くらった本② 川西諭(2009)『ゲーム理論の思考法』中経出版

「あなたは賢いですね」

たまに、こんなことを言われる。「頭がいいですね」とか。「深く考える人ですね」と言われる方が嬉しいのだろうけれど、記憶の限りでは、まだ言われたことがない。

地頭みたいなことはよく分からないけれど、少なくとも僕が賢く振る舞えているのだとしたら、それは単に、僕がそのようなトレーニングを受けてきたからに過ぎない。今の僕の持ち物の大半は後天的なものだし、それは必要だから取得したものでしかない。

もっとも、それが必要と判断するための土台は、好奇心や問題意識なのだろう。ただし、これらがあったところで適切なツール・ボックスを持っておらず、かつその使い方も理解していなければ、ただただ空転して終わる。考えたい物事や考えるべき対象があるのだから、そのための頭の使い方は当然学ばなくてはならないし、運のいいことに、僕はその機会に恵まれてきた。

 

川西諭さんの『ゲーム理論の思考法』は、僕に「頭の使い方」を叩き込んでくれた本の一つだ。ゼミの都合でゲーム理論の勉強をした時、先生がとっかかりとしてオススメしてくださったのが、読み始めたきっかけだ。といっても、読書は一晩で済んだ。僕は夢中になり、線を引き、ノートを取り、この本を読み終える頃には朝を迎えていた。あそこまで無我夢中で本を読んだ経験は、ひょっとしたら後にも先にも、無いのかもしれない。

僕は元々は経済学を専攻していた。いわゆる「新古典派」みたいなところに足場を置いていて、数理的なアプローチに魅力を感じていたのだ。ゲーム理論から始め(このスタートも今思えば不思議だ)、統計学の初歩を経てミクロに行った。ミクロは岩田規久男『ゼミナール ミクロ経済学入門』が始まりで、数学的な最低限の説明はその合理性の美しさを伝えるには十分で、それでいて「端折らない」ものだった。僕は経済学の世界に魅力を感じた(この岩田本は名著なんだけど、いかんせん古くてゲーム理論の説明とかが弱かった。是非とも再販してほしい)。

転機は大学3年の夏頃に訪れた。僕は数学の勉強(僕はオススメされたのでChiangとWainwrightの『Fundamental Methods of Mathematical Economics』で勉強していた。これはとても分かりやすかったのだけど、日本語訳がいまいちで(元々英語の勉強として原著をベースに日本語訳を参照する作戦だった)、結局、原著だけを読むことになってしまった)と並行しながら中級ミクロを勉強しているときに、気づいてはならないことに気づいてしまったのだ。

「これ、何の役に立つんだ?」

上級くらいまでいけば役立てる道はいくらでもあったろうに、独学ベースはこういうところがいけない。その時僕は暇潰し的に有斐閣new liberal artsシリーズの『政治学』という教科書を読んでいて、それはかなりrationalなアプローチを意識して書かれたものだったから、そっちを夢中になって読むことになった。こうして、僕は経済学を勝手に挫折し、勝手に政治学の入口に足を踏み入れたのだ。

 

とはいえ、当時のrationalな発想が完全に消えたかといえば、全くそんなことはない。 僕自身はわりかし新古典派っぽいやり口に対し批判的なところに足場を置いてしまってはいるけれど、それはむしろ、合理的な世界の発想を基礎にして、そこから漏れ出るも当然あるよね、といったかたちになっている。

うまく言えない。

経済学を専攻していた時、よく知らない同じ大学の環境系のゼミにいた人に、「人間が合理的に動くわけないじゃん」と言われたことがある。「そんなこと知ってるわ」としか答えられなかった。いわゆるホモ・エコノミクスなる人間像が叩かれることは多い。ただ経済学はそんなこと百も承知で、だからこそ自身の限界がどこにあるかを知ることに余念がない。モデルは仮想世界でしかない。だけれども、仮想世界を構想することで見えるものもあるのだ。

 

今日は久しぶりに、研究の話をしない飲み会をした。

古巣

友人たちと久々に会った。とんでもなく辛い麻婆豆腐で傷んだ舌を低質なレモン・サワーで冷やしながら、我々は昔の記憶を辿ったり、ほんの少しだけ自分を取り戻したつもりになってみたりしていた。今日は金曜日だから、その余裕がある。僕には用事があるけれど、幸い午後なので、そう問題はない。

この前会ったのは、4月か5月か。だんだん会うペースが緩慢になっていくように思える。そのうち、年一回会うか会わないかになっていくのだろうかとも、ちらと考える。

会えたときに、会えた喜びを分かち合える仲であることが、一番大事で、そのくせ難しいのだと思う。近況を報告しあいながら、思い出話を入れ混ぜつつ、最新のアプリやら何やらについて下らない話をする。会うたびにそんな感じで、含蓄のある議題は何一つない。それでも会うというのだから、生産性が云々とは、おそらくは異なる次元で語る必要があるものなのだとは、確信をもって思う。

ブログはさすがに別として、僕はあまり自分の話をするのが好きなタイプではない。他人の話をうんうんと聞いて、面白いなあと言いながら考えてみたりする方だ。でも今日は珍しく、自分で喋ることが多かったように思う。語るべきことや語りたいことは、事実それなりにあった。みんなと会っていない間に、僕の生活環境はそれなりに変化していた。

地元には友達と言える人がいない。昔住んでたところに残っている奴はほとんどいないし、そもそも僕は中学から別の私立に行ってしまった。ここには大学生になって越してきて、もともと外で飲み歩くタイプでもないから、ここには誰もいない。そういえば、中高時代の奴らとは、ほとんど会わない。

勉強なんてものを始めた関係からか、「お前は変わった」と昔の友人に言われる。「お前は何も変わらないな」と、少し話したら言われる。「お前は変わるな」と今日言われた。どうしたらいいのだとも思うけれど、なるようになっていくのだろう。どうなるかは、もちろん一定程度自分次第ではあるけれど。

酒を足しても眠気は来ずに、頭痛だけが響く。書くべき原稿は手つかずで、研究も進んでいるのかよくわからない。久々に立ち寄ったブック・オフでは800円で悪くない買い物ができた。道のりは足が覚えていた。

くらった本①丸山眞男著/杉田敦編(2010)『丸山眞男セレクション』平凡社ライブラリー

このブログを読んでいるクソ暇なあなた(ありがとう!)に一応伝えておくと、僕は何かしら思い当たったことをもってはじめの一文を決めてみて、そこから文章をとりあえず書き、最後にタイトルをテキトーにつけるというスタイルを取っている。これは他のオフィシャルな文章についても同じなので、習性とも言っていい。今回紹介する本ではないけれど、高橋の源ちゃんが随分昔に書いた『一億三千万人のための小説教室』という講義録には、「書き始めが一番大事なのだ」みたいなことさえ書かれてあるので、とりあえずはじめの一文が思い立った時点でまず始めてみるというのは、そんなにズレた戦略ではないと思い込んでいる。

何の話だ。

今回は、タイトルから先に決めた。そういえば大学院生と言っているくせに、それっぽい話をまるでしていないじゃないかと思ったし、そもそも、なんとなくそんな感じの話をしてみたいと思ったからだ。

そんなわけで、「くらった本」シリーズをやってみたいと思う。ただし、面倒で続ける気になるかはわからない。今日書くものの他には、栗原彬『「存在の現れ」の政治』やドゥルシラ・コーネル『 “理想”を擁護する』、ジョルジュ・バタイユヒロシマの人々の物語』に向山恭一『対話の倫理』、シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』、ジョン・デューイ『公衆とその諸問題』、なだいなだ『権威と権力』、見田宗介『まなざしの地獄』、いとうせいこう『想像ラジオ』とかを考えてはみているけれど、これだけで僕の読書傾向がバレそうなので、やめることにする。これらの他にもくらった本はたくさんあって、そのうちのいくつかは意図的に出していない。今日にかんして言えば、僕は別の本の話をしたいからだ。

 

まずはじめに僕が「くらった」のは、紛れもなく丸山眞男の作品集である『丸山眞男セレクション』だと思う。2、3年前に岩波文庫から3冊ほど丸山シリーズが出ていたけれど、丸山の作品が最も要領よくまとまっているのは、これだと思う。杉田敦さんの解説も重厚で読み応えがある。もちろん「これも入れてくださいよ杉田先生」と思うとこはあるけれど、どのみち僕にとってこの一冊が丸山の始まりだったし、ひょっとしたら、政治学の始まりだったとさえ思う。

お気づきの方もいると思うけど、僕はここで書評じみたことをするつもりはない(ええっ!!?)。そう、僕はただ、この本にくらったんだよー、えへへー、くらいの話しかするつもりはないのだ。

 

この本を知ったのはかなりの偶然だった。僕は当時国際系の学部に所属していたのだけれど、授業で最大公約数的に出てくるビッグ・ネームが丸山だったのだ。勉強熱心なフリだけは超一流だった僕は、迷わず丸山の名を検索し、どうやらこの本を読めば都合よくその議論を摂取できるらしいと踏んで、高い金を払って購入したのだ。「セレクション」というのだし、しかもあの杉田さんセレクトなら間違いないという雑な理由だ(それにしても、ソフトカバーでこの値段は高い)。

そして購入、読み始めたのだけど、はっきり言って、よくわからなかった(今でもよくわからないのはここだけの秘密)。ただ、丸山にはいくつかの重要な特徴があった。まず、日本語が上手い。圧倒的に上手い。無駄がなくシンプルで文体も流麗、僕にとっては難度によらず読むのに苦がなかった。そして、丸山は政治学だった。当時は政治学のゼミを聴講していて、その時のテーマが「公/私の区別」だったから、天皇制原理が個人の内奥に云々みたいな話はエキサイティングな思いで読んだ記憶がある。そして何より、丸山はテンションが高かった。丸山は政治学者としての基準を示そうとしていたその一方で、民主主義者としての独自の迫力があったのだ。

多分一番読んだのは「政治的判断」だった。タイトルの通り、まっとうな政治的判断ってなんだろうねという内容なのだけど、僕はこれこそが政治学であると確信し、何度も何度もページを開き、汚いメモを取っていた。他には「三たび平和について」か。僕はこれらの作品のなかで、政治的なリアリズムを追求すること、ゆえに狡猾であることについて思考し、それらが平和主義という理想と何ら矛盾のない「戦略」であることを学んだ。その裏側の物語の腐敗を知らない鮮度と共に。ただし、これらは「夜店」だった。続編を読みたかった僕は、『丸山眞男集』の面白そうなセクションをコピー・ファイリングし読み込むという生活を始めた。

 

今にして思えば、丸山の政治学は人間の情動的な部分をいささか見逃しているように思えるし、その部分的な発露は、苅部直『ヒューマニティーズ 政治学』の「仮面」のたとえにも現れているように思う。仮面舞踏を楽しむというのは理屈としてはわかるけれど、それって辛いものがあるのではないか。また、舞踏会の独自の文化が排他性を孕むこともあるだろう。このことは、ハバーマスの公共圏論にたいするフェミニストたちの反論(その代表的なものとして、ナンシー・フレイザー「公共圏の再考ーー既存の民主主義の批判のために」グレイグ・キャルホーン編『ハーバマスと公共圏』を参照)を思い返せば秒でわかる。ラクロウのポピュリズム論を思い返す人もいるだろう。かつ、丸山の議論はそもそも「日本的」なのかという従来的な問いも有効だろう。現在の知的水準からして、丸山の議論をそのまま踏襲して偉そうにするのは、いささか無理がある。

ただ、そんなことはみんな分かっている。僕がそれでもなお丸山に学んだのは、丸山のテンションの高さだ。彼は本気で基準を示そうとしていたし、本気で民主主義を日本に根付かせようとしていた。僕は当時政治学なる学問を学び始めた頃で、「政治には、独自の考え方があるんだよ」と言われても「知らんがな」としか思えないような奴だった。僕に政治学を教えてくれた大恩あるその先生は、今にして思えばかなりのセクシストで、僕はいくばくかの違和感を覚え「こういう人間にはなりたくないな」と思いつつ、でもその人の学問的知見にも敬意を隠さずにいた。他方で僕の専攻はゲーム理論を軸とした新古典派経済学(の、多領域への応用)であり、もともとrationalな議論が好きという、ややこしい面も持ち合わせていた。丸山の論調は、少なくとも僕の肌感としてはピッタリ来たし、当時の僕の関心にもフィットした。

僕は政治学を丸山から学んだつもりでいるし(その割には、いささか劣等生なのだけど)、その意思を曲がりなりにも引き継いでいるつもりではある。何より僕は、当時の学部において丸山をありとあらゆる奴に読ませるなどしていた(この点に限定して言えば、我ながら良いことをしたと思っている)。その始まりがこの本だった。この本には丸山の、代表的なものがほぼ全て詰まっていると言って良い。この本を初めて読んで数年が経ち、埃程度の知見を蓄えた今でも、同じことを思ってはいる。

 

もし僕が編者の杉田先生に注文をつけるとすれば、あと2つ、丸山をダイジェスト的にも知るためにも、加えて欲しかったものがある。ひとつは「科学としての政治学」だ。これは丸山が大日本帝国からの「解放」をもって、ようやく日本で「科学としての政治学」が花開くのだと宣言した論考だ。おそらく、これを読まずして丸山のあの論調は理解できないのではないかと思う。丸山にとって政治学の基準を日本において示すことと、民主主義者としてのそれは、実は何ひとつ矛盾していなかった。

そしてもう一つは、「現代における態度決定」だ。これらは、どちらも『政治の世界』に収録されている。僕の説明はきっと、丸山の美しさを汚してしまうから、残りは引用だけで終わりにする。でも、もしここまで読んだクソ暇をこじらせた読者がいるならば、どうかこの論考をはじめから終わりまで通しで読んでほしいと思う。分かる奴には分かる、だなんて甘えではない。分からない奴にも分かる。僕はこれ以上に美しい日本語を知らず、これを形容する思いつく限りのすべての表現が陳腐に思えてさえしまう。僕は丸山の読者というには足りぬところがあまりにあるけれど、しかし僕を形成したその一部に丸山があることを否定はできないし、光栄にさえ思う。

今日は憲法記念日であります。憲法擁護ということがいわれますけれども、憲法擁護ということは、書かれた憲法の文字を、崇拝するということではありません。憲法擁護ということが政治的イッシューになっているということはどういうことか。この状況のなかで、私たちはどういう態度決定というものを迫られているか。憲法擁護ということが書かれた憲法というものをただありがたがることでなく、それを生きたものにするということであるとするならば、それを裏返しにしていえば、憲法改正ということーーよく改悪といわれますが法律的には別に正ということはいいという意味ではないので正といっておきますーー、憲法改正ということは、政府が正式に憲法改正案を発表したりあるいはそれを国会にかけるその日から始まるわけではありません。ちょうど日本国憲法が成立した瞬間に、その憲法が現実に動いているのではないと同じように、憲法改正もすでに日々始まっている過程であります。この日々すでに進行している過程のなかで私たちが憲法によって規定されたわれわれの権利というものを、現実に生きたものにしていくために日々行動するかしないか、それがまさに憲法擁護のイッシューであります。

われわれはどちらにコミットすべきなのか、憲法の九七条には御承知のように「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」とあります。今日何でもないように見える憲法の規定の背後には、表面の歴史には登場して来ない無名の人々によって無数の見えない場所で積み重ねられていった努力の跡が蜿蜒と遥かにつづいています。私たちはただこの途をこれからも真直ぐに堂々と歩んで行くだけです。短かい時間で意を尽しませんがこれで私の話を終ります。

 

雇用・愚問・素養

「あなたの就職活動の軸は何ですか?」

何度も何度も、この質問をされた。その度に僕は返答に困り、その場で思いついたテキトーな理由を長々と話していた。理由がないわけではない。まず、僕はどの会社も、かなりテキトーな基準で受けていて、だからこそ受け答えもテキトーにならざるを得なかった。これは僕が就活にやる気を出していなかったということと大いに関係している。そして何より、おそらくは他の就活生と同じように、僕にはこれといった「やりたいこと」がなかった。

大抵の就活生は、きっと、就活のなかでやりたいことを特定したりするのだと思う。この場合の「就活」は、いわゆる「解禁」前のインターンやらセミナーやらキャリアセンターへの相談、さらには「どんな会社があるのかしら」と検索ボタンを押すことさえをも含んでいる。研究も同じで、とりあえず「これだ」と決定してみるのは大事なことだ。何事も、それなりの軸みたいなものはあるし、その枠内で、「これ」の決定後に、「これ」に基づいて計画を変更することもできる。違うなら道を変えればいいのだ。その進路変更の積み重ねで、それなりに経路は特定されていく。だから、はじめの一歩はいつだって大事だ。

僕とて「これ」みたいなものがなかったわけではない。実は僕は、はじめは新聞社や編集職を考えていたのだ。文系大学院生のわかりやすいコースといえば、発想は分かってもらえるかもしれない。だから、はじめて顔を出した某新聞社記者職の説明会では、ひどく驚いた。詳細は省くけれど、とりあえず僕はこういう大人にはなりたくないな、と思ってしまったのだ。もちろん、彼らの仕事にはいつも感服している。だけれども、人生は時にそういうことが起こる。僕は、もともと考えていた数少ない就職先を除外することになってしまったのだ。穴は大きい。

消失は僕の思考に多大な影響を与えた。そもそも自分は、そんなわかりやすい「文系大学院生の就職」みたいなものに馴染むのだろうか、それが本当に自分のやりたいことなのだろうかと考えるようになってしまったのだ。この過程で、編集職も選択肢からいつしか消えた。そして思い立ったのが、最も忌み嫌う、でも実態を良く知らない、あのイベントに出てみようということだった。僕は例のアプリをダウンロードし、簡単な登録を済ませ、いくつかの業務的なチェックを経て、幕張へ向かった。

目を疑ったのはその人の多さだけれど、内容自体は事前の予想通りではあった。ただし、その後の就職活動の土台にこの経験があったことを僕は否定しない。僕は様々な業界の説明会を見て、声をかけてきた人事の話を一通り聞き、そのなかのいくつかの会社の選考に実際に進んだ。「合説」とは部分的には儀礼的なもので、あの日以降、僕は様々な会社の採用サイトを開き、とりあえず登録だけ済ませてみて、気が向いたら説明会に顔を出すという生活を送るようになった。そして、業界は様々だった。

そう、僕の就職活動においては、業界の絞りは特になかった。僕は就職活動の準備を何一つしておらず、ならばその過程で決定していくしかないと判断したのだ。IT、不動産、住宅、保険、金融、広告、福祉、小売、人材、コンサルなど、それなりに多岐にわたる。メディア・編集関係も、一応受けはした。だから僕は、他の就活生と比べ、いささかおかしな位置にいた。まず僕は年齢がかなりいっているし、しかも就活の軸もほとんどない。言われたことには一通り返せはするけれど、その答えは僕がその場で思いついたことが大半で、その業界に合わせた返答を僕は何一つ知らないから、面接官もたまに困っていたと思う。

実は僕はとても運が良く、かなり早期に内々定を一つもらっていた。だから、はじめの頃のフザけた就活を、そのまま最後まで継続することになった。「俺はこんな感じだけど、お前らは俺を採る?採るなら考えてやってもいいよ」くらいのテンションだ。あまり就活に、良くも悪くも毒されなかったタイプだと言える。人事からすればたまったものではないだろうけれど。ただし、その過程でいくつか気づいたことや、印象的だったこともある。それらは具体的な会社名に連結しやすいエピソードだからここでは言わないけれど、僕は個人的にはそうした経験をさせてくれた御社sにはそれなりに感謝している。

ただ、もう一つ気づいたこともある。おそらくは、これまた他の就活生と同じように、僕は雇われさえすればとりあえずはどこでもオーケーなのであって、結局やりたいことは「何でも」だったのだ。今思えば会社の経営に携わる何かがしたかったのだとは思うけれど、それとてinの知識はやはり前提となるわけであって、それを正規雇用のファースト・キャリアに選ぶのは、少なくとも僕の方法に反する。だから結局僕は、はじめに内々定をくれた、自分次第でなんでもできそうな、ただしサボれば埋没しそうな、そんな会社に進むことにした。友人には「お前らしい選択だ」と言われたけれど、「お前はテキトー人間だからこれくらいテキトーなところがいいよねHAHAHAHA」ということなのだろうかとも、ふんわり疑ったりしている。僕の友人なのだから、当然テキトーなことしか言えない。念のため言っておくと、僕はこの選択には今のところ後悔はしていないし、むしろワクワクさえしている。

今のバイト先の社員様に、「なぜあなたはこの会社に決めたのか」と聞いたことがある。その人は「企画をやりたかったから」と答えた。この人は、少なくとも就活生時代は、僕になかったものを、そして今も僕にないものをもっていたのだ。僕の就職活動の軸は、強いて言えば、「これまでと違ったことがしたい」だった。ただ、とある面接で、「今までのことを突き詰めた方がお前は面白い」と言われた。とある広告代理店では、「どうして官庁行かないの?」と聞かれた。そしてとある住宅関連の会社では、「あなたは完全に広告の人ですね」と言われた。あら、そうなの。そういえば『何者』という小説が流行ったのは、僕が最初の学部を終えるか、そこにさしかかるくらいの頃だった。

台風の影響で風が強く、雨が窓を叩きつける。関西圏の惨状はツイッターの映像ツイートに部分的に思い知らされている。僕は何もできておらず、安全な部屋のなかにこもっている。

レモン・ハイボールと財布と銀行残高の関係について

眠れないから酒を追加した。財布と銀行残高は泣いている。

これだけだとツイートだ。

眠れない。僕は一階に降りて冷蔵庫から酒を取り出す。安物のレモン・ハイボール。それはいつもの場所にあって、もうその段取りさえ無自覚的に行えるようになってしまったのだから、大方僕の財布と銀行残高はろくでもない思いをしているのだろう。深夜3時、2階の自分の部屋に戻り、それを飲み干すまでの時間潰しのために思考する。

これだと三流小説の書き出しだ。もっとも、書き続ける気もないから、「小説」の名には値しない。

僕は眼が覚める。まるで何か大切なものを思い出すかのように。たまらず冷蔵庫から取り出すレモン・ハイボール。いつもの場所、いつもの味。僕はこの日常を、どこか愛していて、常に財布と銀行残高への言い訳を考えている。

ポエムのつもりで書いたのだけど、どうやら僕には、その才能は欠片もないらしい。他の文章にかんする才能がそもそもあるのかという問題については、とりあえず置くことにする。

歴史と制度

一服を終え、ベランダを出てトイレに向かうと、父親と出くわした。午後3時11分。申し訳なく思いつつも、先にトイレを使わせてもらった。僕にも僕の事情がある。トイレから出て彼に事情を話そうとしたら、彼の部屋の電気は消えていた。

夜に酒を飲むことが日課になって何年が経つか分からないけれど、僕は最終的には小説を読み、気づいたら寝ている。どうやら僕に活字は馴染まないらしい。読むものは様々で、大抵は朦朧としながら本棚に並べられたものからランダムに手に取るのだけど、運がいいのか悪いのか、今日は村上春樹の『女のいない男たち』だった。そして僕の目当ては、そのなかの短編小説でなく「まえがき」だった。

 

と、考えてるうちに、書こうとしていることを忘れた。より正確には、書くことそれ自体が面倒になっただけだ。僕は物事について記述しようとするとき、大抵はプランが練りきれていない状況で書き始める。完璧な戦略が成功する見込みはほぼなく、大方その遂行過程で修正を迫られるし、しかも自分のキャリアや金に関するものでないのであれば、まぁ粗雑なプランで始めてみてもよかろうというのが、大体の理由だ。ブランショに学ぶまでもなく、書くことはそれ自体生の経験でもある。僕は意識の混濁のなかで、それを拒絶したに過ぎない。

 

先日、某所で対談に臨んだとき、質問を受けた。お前たちは今、現在のことについて語っている、では未来はどうするのだ、というのがその概略だ。我々はずっと現状の日本のセクシズムについて語っていて、それにいかに対処すべきかについて論じていた。だから僕は、その質問に驚いた。我々はずっと、そのことについて語っていたのではないか、と。

僕は2つの答えを、とりあえずは話した。1つは、歴史はなだらかにしか進行しないということだ。変化とは決定的分岐点のもとでラディカルな変化が起こるといった類のものではなく、それどころか既存の制度を前提とした上での蓄積としてしか語り得ないものなのだと、だからこそ「現状」について語ることこそが変化について語ることでもあるのだと。もう1つは、それでもなおーードゥルシラ・コーネルを引くまでもなくーー理想を擁護することが大事なのだと。

 

書き始めてしまえば、それは始まりの刻印を受け、着地まで連行される。「連行」ととりあえずは言ってみたけれど、この言葉に合点がいってるわけではない。何か、必然そのものに引っ張られているような感覚に近い。

音楽の街

昔、僕は通信制の大学に通っていた。より正確には、某大学の通信制コースに在籍していて、通っていたというよりは受講していた。何せ通信制だから、学校に通う必要がない。もっとも、その大学の図書館にはしょっちゅうお世話になっていた。通信制ということで本を借りることはできなかったのだけど(これは今でもおかしいと思っているけど、通信制のことについては、また今度)、もともと僕は通信制に入る前に通学制の大学を卒業していて、本はその大学で借りれたから、そんなに困ることもなかった。

そう、僕の学歴は、そこそこややこしいことになっている。大学卒業まではストレートにいったのだけど、その後3年間通信制の大学に籍を置き、退学した後、大学院生となっている。しかも最初の学部は国際系で、通信では教育学、院では政治学ときている。ハタから見たら、とても真面目な学生に見えるのかもしれないし、はたまた移ろいやすい性格に見えるのかもしれない。僕としては自分の選択に確かな一貫性があると思っているし、そもそも人生なんてものはのらりくらり歩みながら分かっていくものだと考えているのだけど、まぁ今はその話はいい。

 

僕は通信制の大学に籍を置いていた。その時僕は、某新聞社でアルバイトをしていた。今日したいのは、その時の話だ。

某新聞社でのアルバイトは平日に週4回、昼前から夕方にかけて。業務は基本的な事務作業に加えて簡単な接客、電話対応にアンケート等の集計・統計など、ようは社員様の基本的なサポート。休憩1時間もあり、給与も良かったから、僕は気に入っていた。仕事が終わってからは大抵、近場のスターバックスか、大学図書館かに通い、だいたい22時から23時くらいまで勉強をしていた。

ただ僕は、当時のお仕事について書きたいわけではない。元弊社の名誉のために言っておくと、僕は仕事についてはとても満足していたし、やりがいもそれなりに感じていた。自分の領分については基本的には完璧にこなし、空いた時間に僕は自由に好きなことをやっていて、それはそんなには見咎められなかった。僕は会社における下っ端としての戦略を(あくまで部分的に)覚えたし、また大学時代の友人たちが正社員としての自分の仕事を語る傍らで、僕は現状のこの国においては決して陽の目を見ることのない非正規の人たちの境遇に想いを馳せることができた。ファースト・キャリアは人を大きく左右する。多分この頃の仕事経験は僕に何かしらの影響を長期的に及ぼすのだろうし、事実僕はそうした状況に関心をもって大学院に進んだ。でも、そういう話をしたいわけでは、ない。

僕がしたいのは、読書についての話だ。

 

僕は最初の学部の頃、原付で登校していた。よって、電車にはまず乗らなかったし、ゆえに電車の過ごし方を知らなかった(中学・高校は電車通学だったけれど、大抵寝てた)。だから僕にとって、毎朝、定期的に電車に乗って職場に通うというのは、事実上初めての経験だった。僕はどうすればいいか分からなかった。何せ1時間弱も電車に揺られるのに、寝るのは時間の無駄だし、ケータイをいじるのは、もっと時間の無駄だ。漫画を読むのも時間の無駄な気がするし、何よりコスパが悪い。そんな時、それは、そこにあった。そう、僕の職場の近くには、ブックオフがあったのだ。そこで僕が立ち寄るようになったのが、100円の小説コーナーだった(現時点での肌感では、いつのまにか、108円コーナーになっていたけれど)。

最初は、単なる「かっこつけ」だった。小説を読むのは知的でカッコいいというイメージが、僕にさえもあったのだ。それに僕は、当時哲学・思想にも手を伸ばしていたので(というか、当時読んでいた教育学入門みたいな本がそのまんま哲学史に近い内容だった)、そういう関心もあった。でも、小説を電車で読んでみて、気づいたことがある。そう、小説はコスパがいいのだ。同じ内容でも、漫画だと十数巻かけるのに、小説だと一冊で済む。貧乏学生の暇潰しとしては最適だった。いつしか僕は、小説を読むようになっていた。

なお僕が特にハマったのが、村上春樹だった。村上春樹というとみんなバカにするけれど、実際に彼は凄いのだ。内容についてはそのうち書くけれど、なんと彼の文体は、ほぼ全て3・5・7でできている。つまり、日本語の最も美しいとされる語数で構築されているということになる。その上で内容を詰めるというのは、実はそう簡単なことではない。彼は独自のリズム感を完璧に持っていて、その上でフィクショナルな世界観を完璧に提示する力に、あまりに長けている。疑問に思う人がいれば、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読んでみるといい。僕は、この本以上に、ウィスキーを美味しそうに書いた本を知らない。電車という空間は一定のリズムに支配されている。村上春樹の文体は、電車とは実に相性が良かった。

 

さっきも書いたけど、僕はこの頃、哲学・思想系の本を多く読んでいた。毎日毎日、小説を読み、与えられた仕事をこなし、よくわからない言葉と格闘していた。そして僕は、週一回は必ず職場近くの美味いメシを食うと決めていた。大抵それはラーメンだったのだけど、そういうこともあって、僕はその土地を好きになっていた。ついでにその土地にはカッコいい古着屋さんもあった。充足感があった。

僕はこの頃こそが、人生で最も充実していた時期だと思っている。当時は社会運動の都合から外界との接触は数多くあって、それは時に僕の勉強や思考の方向に影響を及ぼしていた。美味いメシとカッコいい服に恵まれて、小説を片っ端から読んで、思想家の言葉に触れて、その一方で実証系の論文も死ぬほど読み込んで、その手の作業もたんまりした。それは結果と評価に繋がって、事実今の僕を一定程度構成している。

友達と話すたびに、「職場は家から近い方がいい」と言われる。でも、僕はそうは思わない。電車に揺られるその時間は、僕にとっては小説を読む時間で、それは単なる自己満足的な充足に近いけれど、でも結果的には僕自身を構成し、豊穣を与え、仕事を完遂するための予備的作業となる。小説を1時間弱くらい読めば、さすがに頭は冴えてくる。そこから仕事をこなすわけで、効率的でもある。だから僕にとって、その通勤時間こそ、何よりも確保したいものなのだ。もちろん、そこに手当なんて出ることはない。しかし人生にとって豊穣とは、決定されたもののなかで、いかに自由な世界を自己のなかで構想しうるかにかかっているのではないかと、どこか考えている。

 

まぁ、住処は最寄駅から近い方がいいとは思うけど。