Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

前半戦

以下の文章は、僕の政治的スタンスを少なからず反映していることに留意されたい。ただし、僕がまた他方で、左派ポピュリズムへの不信を徹底して持っていることもまた、否定するつもりはない。

 

統一地方選の前半が終わった。維新が勝ったこと以外は目新しい結果はなかったように思う。テレビ報道によれば、実は維新支持の理由には都構想への支持があったのだという。こればっかりは読みが外れたが、そもそも維新が台頭した理由を思えば、住民投票を実行した経験それ自体が評価されているのかもしれない。ただこの点については全くわからないので、今後の調査を待ちたい。

いちおう僕は神奈川の人間なので、神奈川県知事選をはじめとする選挙で投票してきた。そして結果はご存知の通り、現職の黒岩知事の勝利に終わった。正直に言えば、対抗候補の岸氏には勝つ要素が見つからなかった。「神奈川Reborn」と言っていたのがやけに印象に残っていたが、いや神奈川一度死んだのかいっていうツッコミは最後まで残った。国政と地方政治を連結させる議論方法は共産党だからこそなのだろうか。黒岩が大きな支持を得たというよりも、岸が攻め手を欠いたまま選挙が終わったのが実際のところなのだと思う。

 

とはいえ、黒岩をめぐる政党状況はいささか混迷していた。次の2つのニュースは、その流れを端的に示している。ラフに要約すれば、立民が黒岩を推そうとしたが黒岩がそれを拒否、仕方なく立民は推薦を取り消した、ということになるだろう。

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この展開にイライラした野党支持の人たちも多いとは思う。実際、この流れに関わらず黒岩が勝っていたとは思うのだけど、しかし立憲民主が「悪目立ち」した感は否めない。

ここで見られるのは、典型的な「党中央」と「地方支部」との乖離だった。ポール・ピアソンが言うところの、政治における「経路依存性」を想起する人も少なくはなかろう。なにせ、新しい政治を掲げ、民主党民進党のこれまでの足腰の悪さを払拭する文脈で華々しくデビューした左派ポピュリズム政党、それこそが立憲民主党だったのだから。事実、今に至る政党事情のなかで人材をはじめとする資源の足りない立憲民主党は、協力的な無党派市民をポピュリスティックな動員戦略をもって(一時的な)支持を得ることに成功し、二大政党制の一翼を担う政党へと一挙に上り詰めた。既存組織の論理でもない、左でも右でも上でもない、「下」から新たなる次元たる「前」へ。それこそが立憲民主党だった。

とすると、こうした市民たちを、立民が今いかにして動員できているかが問われることとなる。しかし選挙の際に最重要の拠点となるはずの地方で、既存制度や慣習、組織の論理が前面に出ることとなった。その結果、地方での足腰の悪さが、当の選挙時に悪目立ちし、立民の左派ポピュリズム政党としての支持を損なう構図があったのではないだろうか。

ここには立憲民主党の抱える困難がある。左派ポピュリズム政党として始動したにも関わらず、立憲民主党にはおそらく、地方支部の培ってきた論理を突き崩すだけの影響力が欠けていたのだろう。これは本部→地方への影響力のみでなく、本部の介入スピード(を可能にする資源を含む)が地方に及んでいるのかという話も含む。特に県知事選をめぐっては、黒岩支持よりも反岸(反共)の方が強かったがゆえに神奈川県連は黒岩にすり寄ったが、支持表明を一度してしまった手前岸を推すことはできず、しかしその前に岸を押せていたのならば話は変わっていたのかもしれない。党中央としては「野党共闘」をはじめとする枠で反カジノを掲げ岸を推すことは不可能ではなかったはずだ(もちろんその場合には、岸の「共産色」を薄める努力をするだろうが)。もちろん、これはあくまで推論に過ぎないのだけど。

 

問われるべきは、「立憲民主党がどれだけ今の政治状況に対し本気なのかどうか」といった規範的な論点よりもむしろ、「そのために必要な資源を立憲民主党(の党中央)がどれだけ持てているのだろうか」ということだと思う。統一地方選前半をめぐっては、ヘイト・スピーチを垂れ流していた候補者が発見されるといった事態が生じ、立民は事後的な対応に終始するなかでその「左派」性を疑われた。とはいえ、そもそも候補者選定にあたりどれだけの人員が立ち会えていたのかは疑問が残る。

 

このように考えると、立憲民主党のジレンマは、まさにそのポピュリズム性にあると言える。ポピュリズムを突き通せればそれに越したことはない。しかし、それが制度的に難しいがゆえに、立民はそのポピュリスティックな性格が損なわれている。華々しいデビューを果たした立民は、しかし二大政党制の一翼を担うにはあまりに必要とされる資源を欠いていた。その結果、あくまで二大政党制の一翼を担う大政党として振るまわざるをえない状況のなか既存組織の論理を撤廃することができず、むしろそうした論理をもつ組織に依存せざるをえないかたちで、選挙に臨まざるをえなかったというのが実際のところなのだろう(推論でしかないけど)。

これに関して立民を責めることはできないだろう。むしろ、不可避的な状況判断の蓄積が産んだ必然くらいに見るのが妥当な立場に思える。安倍政権妥当というミッションを掲げ左派/リベラルの期待を一身に背負って誕生した政党は、まさにその誕生経緯ゆえに困難に立たされている。仮に「立憲」的であるとしても、やはり「民主党」の影は暗く重いままというわけだ。

その意味で今回の結果は、言ってしまえば、立民を支持する/しうる無党派市民が、前選挙過程にどれだけコミットできていたかという話でもある。周知の通り、立憲民主党は連合の支持に依存するのでなく、そのデビューの際には前述の通り無党派市民の協力を動員していた面があった。専属人員は結局足りていない。ヘイト・スピーチをしていた候補者の選定や、党中央の政策理念に反する県知事候補への推薦の是非についても、あの新宿駅にいた群衆は実際にどの程度コミットしていたのだろうか?

もちろん、「お前ら情けねえな」みたいなことを言うつもりは全くない。何ならこの文章は全て自戒を込めている。それでもなおあえて言いたいのは、もちろん推測の域を出ないものの、これは立憲民主党が状況的に強いられてしまった制度的なジレンマなのだろうということだ。だからこそ、僕を含むあの場に集まった市民の行動が問われている。好きな言い方ではないけれど、その場限りの「消費者」としてコミットするだけでは、あの政党は持たない。僕個人としても、言いたいことは腐るほどある。お前ら新しい公共とか言ってる暇あんならもう一回「控除から手当へ」打ち出して子ども手当掲げろやとか、そういうことは結構思ったりもしている。だが政治的判断というのは、結局のところベストよりベターなのだし、また超超超基礎的な経済学の用語を援用すれば、短期のみならず長期をもふまえて物事を見据えるべきなのだ。

 

今回の統一地方選前半戦での立憲民主党の悪目立ちは否定できない。しかし後半はどうだろうか。時間は幸いにしてまだある。小選挙区制改革の際に問われたことは、政権交代のある政党政治だった。比例代表制の方が好ましいという論調は当時からあった。しかし舛添元都知事があれだけのバッシングを受けた以上、その哲学が消え切れてないこともまた事実なのだろう。立民への確固たる態度を求める一方で、その責務を市民が荷わねばならないという今の状況を、およそ20年前の知識人たちが見たら何と言うのだろうか。