Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

AIは何の夢を見るのか

最近AIがやばい。

というのは周知の通りで、実際やばい。chatGPTでしたっけ、何か質問したら返ってくるやつ、3がまあ話題になってましたがすぐに4が出たとかで、来年くらいには30くらい出てるんじゃないのかってくらいの勢いですよね。

これは個人的には結構やばいと思っています。

まず僕が一番に想起したのは小説、特になろう系小説です。僕が最初に読んだのは転スラで、その後もちらほら読んできましたけど結局フォーマットができてる面があるんですよね。で、それならもうAIで書けちゃうんじゃないのって話でもあったんですが、これは書けますね、はっきり言って。設定を組み込みさえすれば余裕でしょうし、なんならその設定さえも学習させてしまえば人いらずってところまで1年もたないんじゃないかとさえ思ってしまいます。

これの何を危惧するかというと、小説というもの自体が危機に瀕しかねないからです。たとえば村上春樹とか、もう絶対的な名声をもっていて、この人の文章を読みたい、となっているものに関しては生き残れるでしょうが、そうでない有象無象で、とりあえずお話を目で追いたいくらいの扱いの小説だったら、ならAIでいいじゃん、ってなりますよね。とすると小説家にとって大事なのは文章力よりも(まあそれは前提なんですが)小説家個人の名前だったりするわけです。

まあこれ自体は前からそうだと思われるかもしれません。この絵だから見るんじゃなくてピカソだから見てるんだよ、みたいな。とはいえそこが前面に出てくるとなると話はまた違ってくるのかなと。だって言ってしまえば遠からずピカソは機械で再現可能になっちゃうみたいな話ですからね、これ。書き手の名前が違うだけなんですよ。少なくともこの短期間の進歩はそれを思わせるほどのものです。

ふと思い出すのは大学院にいた頃ですね。僕のいたところは東大みたいな大きいところではなかったものの結構優秀な学生さんの集まるところで、そんな学生さんのリアクション・ペーパーを読む機会もそこそこあったのですが、まあ何ていうか、よく書けたくそつまらない文章なんですよね。そして構成がだいたい同じという(これ自体は悪いことではないです、みんな同じことが出来るというのは予見可能性を高めることによって効率向上の一助になるので)。で、現に大学教員の人たちが危惧しているのがレポートをAIで書かれちゃうんじゃないかってことですよね。書かれちゃうと思います。そしてちょっと手を加えればもうAIが書いたのか本人が書いたのか分からなくなるでしょうね。

っていうか学術論文だって怪しくなりかねませんよね。新聞記事だって調査報道ならまだしも発表を受けての記事ならAIで記事を自動生成しちゃえば済む話ですし。

何がやばいか。言葉が、本格的に人間の手を離れようとしていることです。だからこそ生き残り戦略として、言葉よりも個人がより重要になりかねない。これは意味世界において一つの敗北でもあるでしょう。結局何を言ってるかより誰が言ってるかなんかーい、っていう。

そして雇用も大きく危ぶまれるでしょうね。この点にかんして、僕は文系に属していたので思うところが一つあって、文系の人たちのこれまでやってきた密教的なところは、実は今後の生き残り戦略として機能するのではないかってことです。chatGPTとかのやってることって、それっぽい文章の生成と、あとはネットを駆使した情報の引っ張り上げなんですが、文系の人たちってわりかしネットベースでの情報発信が弱かったんですよね。他には政治関係ですかね。ほら、たとえば共産党の内部事情とかってまあ密教的な話になるじゃないですか。そうそうwikipediaとかに細かいニュアンスとかは載っていない。となるとそこの情報は引っ張ってこれない。とすると密教的なやり方は自身の生き残りのためには良いのかもしれません。もちろん当人たちにそのつもりはないとしても、たとえば経済学だったら数理モデルの論文がネット上でオープンにされていて、そちらの人たちの方が多分危機感は強いのかなと。まあ時間の問題といえばそれまでかもしれませんが。あっそうそう雇用と関連して議事録をAIに頼んだらまあ優秀すぎたみたいな話がもうあがってますね。そりゃそうだ。

さてそれと関連して、たとえば真っ当な議論みたいなものって悲しいかな、ネットベースよりもちゃんとした本とかオープンアクセスになるのに何年かかるみたいな論文だったりとか、そういうのがどうしても出てきたりするんですよね。で、当然手に入りやすい情報が先に出てきてしまうとなると、ヘイトとかデマとか、その手の言説(つまり緻密な調査も一切必要としないゴミみたいな作り話)が前面に出てくる恐れがあります。この点、chatCPTなんかはヘイトとかをブロックしようとしているみたいですが、でもそれって何ていうか「相手ありき」みたいな話ですよね。非常に危ない橋ではあります。

ところでAIについてよく言われるのが「人間は感情の生き物だあ」ってことですよね。そこに異論はないのですが、実は私ケアのお仕事しておりまして、そこで見る光景といえば、おしゃべり人形に認知症のおばあちゃんが元気にお喋りしてるってアレなんですよね。これオムツ交換とか掃除洗濯とか加えたらもう俺らいらないんじゃないか? 感情どうこうの話も案外すぐに乗り越えられちゃうのかもしれませんね。

でも僕たちは生き続けなければならない。僕たちは生きて、雇用がなくても寝て夢を見る。でも夢の世界も結局AIの跋扈する世界なら、じゃあ僕らの生きる世界って何なんでしょうね。