Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

映画「バービー」を観てきました

というわけで、映画「バービー」を観てきました。Barbie。感想をつらつらと。

最初に思ったのは、映画「君たちはどう生きるか」と、あるいは「街とその不確かな壁」と似ていることでした。どちらも今この現実に立ち返ることをオチにもっていっていて、それらはたぶん時代の空気みたいなものとして共有されているのかな、と。片方はフィクションの世界でもう一つは現実・・・って言うとものすごく紋切り型で面白くないのだけど。そういえば作中で出てくる「裂け目」は女性器の暗喩なんじゃないのという指摘を一緒に観た人から受けてなるほどなと。最後にバービーは肉体を、同時に「裂け目」を手にするわけだけど、人は想像されるのでなくすることをやめないし、やめることができない以上、常に現実世界とフィクション世界の間の裂け目に立っていて、その意味でバーバラはフィクションを決して捨てていない。常にフィクショナルな想像力は自分を前に進ませて選択肢を多様にし、現実世界を乗り越え変革する力になるから。かつてバービー人形が子どもたちの前に現れた時のように。

それともう一つ感想として思ったのは、あの世界には討議やら熟議やらといった意味での政治はほとんどないということ。代わりにある政治はむしろ儀礼や演劇の領域だったりする。ケン道場カサハウスみたいなものの支配体制を確立しようとする投票過程も大部分がノリだったし。で、個人的なことは政治的なことで、あの映画における言葉による政治みたいなのの一シーンとしては、洗脳を解くフェミニズム的な言葉だったりする。でもこう言うと怒られるかもしれないけれど、「あの程度」で洗脳が解ける程度にはケンの持ち帰った男社会は底が浅いんですよね。なんたって本4冊程度のもんだし、馬と男社会は関係ないし。でも実は元のバービーランド自体も底は浅いんですよね。フィクショナルな想像力(それも主に子どもによる)の限界とでもいいますか。そうした想像の世界そのものの限界を悟り、ファックだけどより多面で多様な深い人間の世界で肉体をもって生き続けることを選んだ、というのがオチなのかなと。

音楽は結構楽しかったです。僕はMatchbox Twentyが世代じゃないんですけど好きで、だからpushが出てきたときはびっくりしたと同時に、こういう使われ方すんのかあって思いました。でも確かにあのバービーワールドから続いていた音ノリからロックバンドのメロウな感じの曲調がすごく異物感あったんですよね、演出としてすごいなあと。そもそも人間界に行ったときの画感とかも違ったりと、そういう対比へのこだわりが強いんだろうなと印象を受けました。それと最後のBarbie Worldが良かったです。プレイリストに入れちゃいました。しかもちゃんと元ネタもあり、そういうのを受けて今どきのgirls power的な、でもBarbie bitchとか言っちゃう感じのノリとか、いいなあと思いました。最初聞いた時、これ絶対bitchって言ってるけどワンチャンbeachじゃなかろうなって思ったんですが、よくよく考えてみたらこの映画が作られたアメリカってhip hopが日本なんかよりはるかに商業的に成功しているわけで、そこらへんのワードとかについても流布されてるんですよね。ここは自分が浅はかでしたね。

この映画がフェミニズム映画かどうかってとこですよね。男社会への対抗みたいなところを見れば確実にそうだと思いますし、そこは絶対にそうなんだろうなと。でもフェミニズム映画だけかと言われればそうでもないのかもしれない。あるいはフェミニズムそのものが含む要素がいかに広いかという話にもなる。ここはどういうアプローチでこの映画を観るかという話にもなるんだと思います(創世記のオマージュだという意見もありましたけど、これは真偽どうこうよりむしろ創世記というアプローチでこの映画を観た、という話なのかなと)。まあでも映画ってそういうもんですからね。単にフェミニズムのさわりに触れたいんならもっと手軽な本読んどきゃいいわけで。バービーという物語のなかに何を読み取るかということについて、色々なアプローチはあれど、ただそのメインにあるのは間違いなくフェミニズム・アプローチなんだろう、という話なんだと思います。

とりま思ったのはそんなとこですかね。もう一度観たい映画だなと思いました。特に「裂け目」は字幕で観ていたので聴き逃しちゃって、実際は何て言ってたんだろうというのが気になります。