Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

アイドルカルチャー

ぼくは大学に入るつもりはなかった。少なくとも現役で。というのもぼくは恥ずかしながら中学高校とろくに勉強というものをしてこなくて、それが急に「おれは大学に行って超勉強するんだ!」となってしまったので、まあそれはそれで結構苦労したのだ。

ちなみにこの決意が高3の夏の終わりの頃。文転しますと言ったぼくを親は快く受け入れてくれた。そりゃそうだ、偏差値25の理系が偏差値20の文系に変わったところでそう変化はない。

さて、そんなふうにやる気を見せた僕は完全に浪人で大学に行くつもりだったのだけど、さすがに親も浪人ありきはどうなのかということで、高3の終わりに受験をしてみて、そしたら何故か大学に受かってしまったのだ。E判定だったのに。人生というのは分からん。

さて、そうして大学に現役で奇跡的に受かってしまったぼくには一つ困ったことがあった。周りはぼくなんかよりずっとずっと頑張ってきた人たちだ。追いつこうにも差は大きい。そこでぼくは一つの噂を聞いたのだ。

 

ーーー大学にはノートという文化があるらしい

 

ーーなるほど、ならそいつを手に入れよう

 

ようするに、授業のメモをちゃんととったノートを借りれば単位は何とかなるよ、という都市伝説だ。これはいい。ただ問題はひとつ、誰がそんな理想的なノートを持っているというんだ?

そこで当時の偏見まみれのぼくは直感的に思った。「オタクっぽい人ってノート超とってそうじゃない?」(ほんとにひどい偏見)

というわけでそんなありがたさ極まるオタクの方々に近づくためにぼくは大学に入るにあたり準備をした。そう、これが今回のテーマであるアイドルカルチャーである。

本題までが長いな。

AKB、perfume涼宮ハルヒ、この辺をとりあえずおさえておけば良かろうとこの手のコンテンツをとにかく蒐集した。オタクのイメージが実に貧困ですね。ちなみに当時のPerfumeは自分のなかではこの枠でした(ポリリズムあたり?)

さて、ここからは華麗なオチがついており、ミイラ取りがミイラになるとはこのことで、ぼくはアイドルカルチャーにずっぽりはまり(課金はしてない、なぜならそんな金がないから)、結局ノートは自分で取り、マイパーフェクトノートは他の人に貸し出され無事多くの人の単位を救ったのであった。めでたし、めでたし。

 

と、これだけではさすがにアホな話なのでひとつだけ。ぼくが偶然受かってしまった大学は実は近所にあり、すぐに原付で通学するようになってしまった。そんななかで実は心に響いていたのはperfumeの「ワンルーム・ディスコ」だった。実家暮らしの恵まれた立場なのに。

でもあの曲を聴くたびに、ぼくは、ここにあるいはあったかもしれない可能性をどうしても想起せざるをえなかった。「新しい場所で うまくやっていけるかな/部屋を片付けて 買い物に出かけよ」。こんな生活は当時のぼくにはもちろんなかった。でも進学先や受験のときの運によってはあるいはこんな思いをもっていたかもしれない。すべてはあるいはに過ぎない。歴史にイフはない。それでもぼくはこの曲を聴いては、ここにはないどこかに思いを馳せていた。

人は現実の上に立っているから、ここにはないどこかに思いを馳せるだなんて本来無理な話で、そのためにはフィクションの力を往々にして借りることになる。それは音楽のかたちをとることもある。小説や、絵や、映像や、さまざまなかたちを。思えばアイドルの語源もidol偶像なわけで、ぼくらは常に遠くのものを勝手に近くに引き寄せたつもりになって日々を過ごしている。握手できたところで(基本的に)届かない。僕たちは夢を見ている。圧倒的な現実のなかで眠れなくたって、眠れないほどに夢を見てる。「俺は自分がcoolだと知ってる」。残るのは自意識だけだ。でもそれさえも残らないのかもしれない。

大学を出て、入学したときの野望みたいなものは気づいたら忘れていて、それでもぼくはその野望に恥じないくらいには、まあ頑張ったんじゃないの、と当時の自分の頭を叩いてやりたいくらいの思いはある。まあよくやったよ、あんなにアホだったのにねえ。やりきったことだけしか自分には残らないんだ、ただもうちょっと遊ぶか、あるいはもっと死ぬ気で勉強してみてもよかったかもね、とかそんなふうに。それともうひとつ、「結局君はノートを貸し続ける羽目になるよ」。

 

 

ちなみに進学先の大学院では掲示板にノートのコピーを有料で買い取らせてほしいという貼り紙があった。おまえ、なぜおれのいた大学にいなかった?