今年で32歳になる。
30になった時、まだ自分はおじさんではないと思っていた。31になった時、厚労省あたりの定義では35までは若者だから自分はまだ違うと思った。
この前20代の人と話した時、ふと「LINEするの?」ではなく「メールするの?」と聞いてしまった。おじさんじゃないか、と思った。というか、言った。「ごめんね、俺めっちゃおじさんみたいなこと言っちゃった」。実際は、心の中で「うわこいつめっちゃおじさんじゃん」と思われるのが嫌で、自分からフォローしたのだ。
世代の違いは言葉の違いとして現れる。メールとLINEの違いもそうだろう。今の更に若い(幼い?)世代はLINEさえ使わずInstagramのメッセージ機能でやりとりするらしい。きっとLINEという言葉さえ古い言葉となるのだろう。次は「メッセ」とかなのだろうか。それとも違う何かが出てくるのだろうか。
この文章はiPhoneで打っている。iPhoneで文字を打つのはとても苦手だ。といっても手書きも嫌いだから(なにせ字が汚い)、PCで書くのが一番良い。でも今時の大学生なんかはスマホでレポートを書くらしい。自分には無理だ。でもそれが当たり前になってくるのだろう。いずれPCを使わずiPhoneだけで書かれた論文がノーベル賞を受賞し、iPhoneだけで撮影から編集までされた映画がハリーポッターくらいのものになるのかもしれない。
おじさんになって、でもおじさんの自覚がない結果、嫌なムーブをしてしまうのが個人的には一番嫌だ(若ぶったおじさんの害悪さったらない)。だからおじさんになったらきちんとおじさんとして振る舞いたいとは思う。でも人はどこからおじさんになるのだろう? この前職場で「10代かと思った」と言われた。内心嬉しかったけど、でもそれはどうなのだろうかとも思った。然るべき年齢に見られないというのは単に自分がきちんとしていないだけではないのだろうか。もう30を超え人によってはおじさんとみなしてくる、そんな年齢であるにも関わらず。
そういえばiPhoneと書く時、まず「ケータイ」と打とうとして、いやそんな言い方はもう誰もしないよなと思い、あわてて修正した。きっともうこの時点でおじさんなのかもしれない。