Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

ハリーポッターを最近よく観ています

タイトルの通り、ハリーポッターを最近よく観ています。映画です。

もともと年末にコロナ陽性になってしまい(幸い無症状でした)、いかんせんやることがないのでAmazon primeハリーポッターセットみたいなのを5000円で購入して見まくったわけです。

年始にはNetflixハリーポッターが解禁されていました。どういうこっちゃ。

僕はハリーポッターは昔から好きで、というよりほぼ唯一まともに読んだ本でして、子どもの頃にちゃんと読んだのはハリーポッターと少年ジャンプくらいだというくらいです。新刊が出たり映画を観る前に予習として全巻読み直したりしていたので賢者の石に至っては10回以上は読んでいました。といってもそれは随分前のことで、実はある時期からもう映画にも飽きていて、死の秘宝は映画を観ていないという、ハリーポッター愛する人間としてはあるまじき状態のまま、この歳まできてしまったわけです。

コロナの隔離期間というのはどうにもやることがない。本当にやることがない。症状があり辛いならそれはそれで大変なまま時間が過ぎるのでしょうが、症状がないならないで今度は退屈が強いられてしまう。どちらが辛いかといえばもちろん症状がある方だと思います、もちろん。しかしまあこれは良い機会だろうということで今回死の秘宝を観て、せっかくなら全部観ちゃおうという運びとなったわけです。

つまり購入順としては死の秘宝レンタル→コンプリート版購入、ということになります。コンプリート版にはもちろん死の秘宝も含まれているのでレンタル分はいわば無駄になったかたちです。

 

ハリーポッターというのは論点が多岐に渡る作品ですよね。たとえば階級と愛の関係は明らかにシリーズ全体を貫くテーマです。マグル/魔法族、貧困/裕福、この2つあたりが大きいですかね。愛と関連して家族も強調されていますね。ヴォルデモートというのは典型的な「なりたかった自分」になれていない自分を恐怖や力で周りを押さえつけ無理やり乗り越えようとするタイプの悪人で、愛という他者への依存を(ナギニを除いては)することができない。この作品のなかで死を最も恐れているのがヴォルデモート当人であることは明らかで、こうした死への恐怖は、それを乗り越えようとする「自立」心、他者への依存を忌避する、あるいは他者への恐れの強さとパラレルに存在しています。

ところでファンタスティックビーストも観たのですが(続編を心待ちにしています)、グリンデルバルトとの違いも面白いですよね。ヴォルデモートは良くも悪くも力で全部何とかしちゃおうという発想で、だから魔法省を自力で陥落して政治的に成功するのですが、対してグリンデルバルトはもうちょっと「絡め手」というか、結構政治的なやり口を見せます。麒麟を殺して操って自分にお辞儀させようとしたりとか。こうして見るとグリンデルバルトは結構小っちゃいというか姑息な感じがありますが、他方でそのやり口はむしろ「大人」っぽくもあるわけです。グリンデルバルトの目的はそもそもが政治的であって彼なりに大義を掲げている。だから周りに認めてもらえるやり方である必要がある。対してヴォルデモートはあくまで自己保身だけが結局目的なので手段を問う必要がそもそもない。悪役としてのスタンスがそもそも初めから違うわけです。だからなのか、ファンタスティックビーストはハリーポッターシリーズより「政治」が前面に出るし、だからこその世俗感というか、その矮小さみたいなのがより現れる「大人」な作品なのだと思います。子どもを視聴者として獲得するのはハリーポッターシリーズより難しいだろうし、世界観や物語の複雑さなどを観てももともとハリーポッターシリーズを愛した人が対象になり、かつハリーポッターシリーズを愛した人がファンタビ世界観を愛せるかというとそれはまた別の話にもなってくるのかなと。

イケおじジェイコブさんを観た後でロンを思い返すと爆笑しちゃいますよね。茶さじ一杯分の器があるかさえ怪しい。まあロンがコンプレックスの塊かつ俗なキャラクターだというのは最初からそうで、かつ周りにいるのがハリーやハーマイオニーみたいなのだったらそりゃ本人も思うところがあるでしょうが、しかし何やかんやありつつも結局2人と一緒に戦うという選択をするところがロンの良さなのだと思います。凡人でも選択する勇気が人を正しく導くのだ、みたいな。しかしどうしてハーマイオニーはロンを好きになってしまったのだろう、、。

いや本当にこの作品、結局ハーマイオニーにおんぶにだっこなんですよね終始。もうハーマイオニーと死の秘宝とかでもいいんじゃないのって話です。ハーマイオニーとネビルがいなかったら間違いなくヴォルデモート軍団に手も足も出てませんからね。ちなみに僕は観てないんですけど呪いの子ではネビルが殺されちゃったためナギニが死なずヴォルデモートが勝利する世界線が出てくるみたいです。この世界線で爆発系男子シェーマスフィネガンくんはどうなっているのかが気になりますね。いやあんま気になっていないんですが。

 

死の秘宝のラストバトルを最初読んだ時、実は当時の僕は結構ガッカリして、「なんだその設定バトルは」と思ったんですね。やはりジャンプ少年だったので実力で勝って欲しかったんでしょうね。でもよくよく考えてみるとハリーポッターの世界でハリーが実力で何とかしたことってまあないんですよね。賢者の石では愛の力でクィレルがやられちゃいますけど当時のハリーには基本なす術がなく、アズカバンではハーマイオニーにほとんど指揮取ってもらうかたちで、炎のゴブレットは設定バトルで不死鳥の騎士団と謎のプリンスはダンブルドアバトルと、まあそんな感じでしたし。秘密の部屋に関してはフォークスの活躍ありきですけどハリーが結局勝てましたよね。どうしてバジリスク負けちゃったのか今思うとまあ謎ですよね。ハリー12とか13ですよ?

まあそれは置いておくとして、実はハリーポッターシリーズってこうした意味で少年漫画的な発想とは全然違うんですよね。良くも悪くも環境に振り回されまくる。その象徴がスネイプだと思っています。彼、ヴォルデモートがいなかったらそこまで闇落ちしなかったんじゃないかと思うんです。ヴォルデモートの存在が闇の魔法使いの勢力を可視化させ、分断を招き、ジェームズ(そしてリリー)とスネイプは諍いのなかでそれぞれの陣営に入っていく。でもヴォルデモートがそもそもいなかったらそうした闇の軍勢みたいなのも(少なくとも作中であるほどには)いなかっただろうし、スネイプもそこに属することも、またジェームズが過度な偏見を抱くこともなかったのではないかと思ってしまうのです。もちろんスネイプがヴォルデモート側につくという選択をしたことそれ自体は非難されるべきでしょうが、他方でスリザリンの置かれた状況とかを考えてもそれはある程度「自然な」進路でもあったと思うのです。その意味でスネイプもまた運命に翻弄された一人なのかなと思うわけです。事実その後スネイプは華麗な掌返しをやってのけるわけですしね。

それと気になるのがスリザリン寮の扱いです。小説ではどうだったか忘れたのですが、映画では最終章でマグコナガル先生がフィルチさんにスリザリン寮生を追い出せみたいなことを言うんですね。まぁ状況判断としてはそうなると思うのですが、よくよく考えてみたらスリザリンの扱い方みたいなのが結局全てのトラブルの元凶なのでは?と思ってしまいます。スリザリンって悪い奴ばっかみたいな位置付けですが恐らくイギリス的価値観では狡猾さというのは是非以前に評価されるべき価値なんですよね。この辺は丸山眞男も指摘しているところで、イギリス的狡知こそが政治的な知性を磨いているみたいなことを言っているのです(たしか)。でも結局あの世界線でスリザリンって基本悪者扱いで包摂しようみたいな感じはないじゃないですか。他寮との関係も悪いですし。そこらへんは正直ホグワーツの寮統治の問題が根深いなと思ってしまいます。

あっそうそう統治問題と関連してなんですが魔法界って中世的なノリが結構多いですよね。マグル世界、というかまあ我々の世界と見比べると(悲しいかな僕は魔法を使えないので我々と表記しています、ホグワーツさん、お手紙はいつでも待っています)、結構遅れてるなと思うシステムがちらほら見え隠れします。政治体制なんかもそうですし、そもそも魔法界は、まあマグルと比べて個々間の力量の差が大きすぎるのはあるかもしれませんが、しかしそれにしてもダンブルドア一強みたいなところがあったりとかしますよね。マグルなら機械化してどんどん効率化しているところを魔法でアナログなやり方をずっとしていたりとか。魔法でなんでもできちゃう分技術進歩が遅れるみたいなところがあるのでしょうか。ロンのお父さんもマグルに比較的詳しいはずなのに改札の通り方を知らなかったりとか、魔法族がマグルの側から学ぶということがあまりにも少なすぎる印象を受けます。この点に関しては魔法族のなかに根深いマグルへの偏見が関係しているんでしょうね。なんかそういうところも魔法界のしくじりとして一貫しているのかなと邪推してしまいます。

 

まぁ論点なんていくらでも出てくるんですがいつかちゃんと絞って長い文章を書いてみたいですね。いま手元に小説がないですし他にやらなくちゃいけないことも多いのでとてもできないんですが。でもハリーポッターについてはちゃんと自分のまとまった考えみたいなのを一個確立しておきたいなという気持ちがあります。なにせジャンプと並び子どものころにちゃんと読んだ本ですからね。

ちなみに一番好きなところはクィレル先生をボロカスにした後の保健室でダンブルドアが「君たちのことは極秘になっている、つまりみんな知っているということだ」というとこです。いいですよね、あそこ。