Good afternoon

基本的に乃木坂について書いていくつもりです。自分の言葉に責任を持つ気が毛頭ない人たちが中の人をしており、それが複数名います。ご容赦ください。

髪を切ろう

これまでは実力あったからどうこうできてたものも、異なった世界に入れば実力ゼロなので(異なった世界とはそういうものだ)、当然どうこうもならないから、やり方を一から変えなくてはいけない。「これまでと同じようなことやっても面白くないよな」というのは就活のある種唯一の軸でもあったので、ならそれはそれできちんと実現させていきたい。来年度になる前に、変われるように。気が早すぎるとしても、目標を掲げること自体は悪いことではないし、自分の中では比較的短期の目標だ。

短期/長期の区別を、僕は経済学の初級テキストで知った。気になる人はマンキューあたりでも読んでおけば問題ない。さしあたっての目標は「異なった世界に対応するにあたり、必然的に凝り固まった自分の既存のやり方を、捨てるのでなく、変えること」となろうか。こうなると随分と大仰だが、日々の仕事をこの目標に合わせていくとなると、モチベーションもまた違うだろう。うむ、やはりこれは短期目標とは言いがたい。

少し前のことになるけれど、とあるお祭りに参加した時、奢ってもらったタピオカでインスタ映えをキメている僕を見て、子ども達が群がってきた。「タピオカ君」と僕は名付けられた。うむ、僕の圧倒的なゆめかわいさに気付いたのはいい、問題はその後だ。なんとその子ども達、あろうことか僕にタピオカをねだってきたのだ。とにかくたかってきて(子どもの集団的なたかりは本当に厄介だ)、店の前でタピオカコールまでしてくる。お前たちとは死んでも酒を飲みたくはない。

出店はタピオカ400円、ラムネは残り2本で一つ100円。僕は手持ちの200数円を提示して伝えた。

「タピオカは400円だから買えない、つまりタピオカを要求してもお前達は何も得ない。しかし残り2本となったラムネは100円、よって、お前達が利益を得るには要求を下げてラムネにするのが合理的だ。どうする?」

4人ほどいた子ども達のうち、ラムネを選択したのは1人だった。結局のところ財は有限だから、そのなかで少しでも効用を最大化させていくことが必要になってくる。彼女はまさしく合理的に振る舞ったわけだ。うむ、お前には才能がありそうだ。

ところで残りの子ども達はというと、彼女たちはタピオカ連合のようなものを組んでおり、一人が「抜け駆け」したことでその結束はより強まったようだった。なにも効用は飲み物によってのみ左右されるものではなく、それこそ意思決定の際には自分のコミュニティ内での立ち位置等も問われよう。彼女たちも彼女たちでまた、ラムネを得ることはできずとも、合理的な選択をしていたのだ。加えて、財は得れば得るほど良いというものではない。たとえば選択肢が著しく限られているとして、いくら金があったところでコンビニ弁当を100個買うわけがない。お腹のキャパシティもまた有限なのである。そう、タピオカ連合の一人は事前にラムネを飲んでいたのだというのだ。なるほど、それならわざわざタピオカのかわりにラムネを飲む必要はない。むしろラムネを選択することで損をする可能性さえある(ラムネ二本はなかなか重たい)。

どのような選択であれ、合理的にそれを行いたい場合、自らにとっての合理性を左右する条件というものがあり、それは時に一見非合理的な行動を合理的にする。長期的に見て釣り合いの取れない教育への不投資は、短期的には目先の収入の優先や、そもそも教育そのものへの不信や、また長男優先型の家族文化だったりもしうる。しかし合理性を左右する条件はしばしば見えにくい。環境が全く異なる世界において、いかなる目標設定を行うべきかといった問題にしても、自分自身の足下からまず見直す必要があり、それはまさに自ら自身の物語が密接に絡んでくるがゆえに、体感レベルでの調整が求められるし、それは物語の独自性が強ければ強いほど時間がかかる。しばしば指摘されるように、我を持たせない教育というのは、それはそれで会社への適応を早めるという意味で、まさに合理的だったのだろう。